吉原工業昔話

 

「校舎今昔」 教諭 春山満三

 

 今から38年前の春、私立田子浦高校を発展解消して吉原工業高校は誕生しました。

 当時の枝舎は、鈴川の昆沙門さんの西側、砂丘土の田子浦高校の木造校舎を仮校舎としていました。二階建ての教室のある建物が2棟と平屋の機械実習室。といっても数台の旋盤やボール盤と手仕上げ用の万力が数台あるだけの小さな建物。製図室兼実習室と、他の実験室に比べて広々とした化学実習室(夏は暖房、冬は完全冷房)。その隣に可愛い柔道場(部員は屈強な猛者ばかり)があり、枝舎の一角に住み込みの用務員さんの住宅がありました。グランドは砂丘の中にあったので、どんなに大雨が降っても水はけの心配をすることはありませんでした。体育は時には松林を抜けて浜までランニングして、ラグビーやサッカーをしたこともありました。足腰が強くなったことは確かです。校舎と言えば、戦前の建物でしたから結構老朽化して、少し風通しの良いところもあり、風の強い日などはグランドの砂が舞い込み、掃除はゴミを掃くと言うより、掃き集めると言った方が良かったかと思います。当然ながら床は荒いサンドペーパーで磨いたように、完全艶消し仕上げでした。現在の新校舎に比べたら極めて質素な学舎、設備ということになるでしょうが、結構楽しく、熱心に勉強や部活動をしていました。

 この間に本校舎の建設が比奈の丘に進んでいました。1年半後、本校舎の1部が完成し3年生のみ本枝舎に移転。機械実習棟も完成しました。1,2年生の本校舎移転と化学実験棟の完成はさらに半年後になりました。新校舎の本館(HR教室)は比奈の高台にあるので展望は良く、教室の窓は大きく天井は高く、廊下は広く明るくて、仮校舎からきた先生も生徒も、素晴らしい新校舎の施設、設備の恵まれた環境をフルに活用して勉強に部活動に励みました。その卒業生は県内はもちろん、日本全国、また海外でも活躍しています。しかしこの素晴らしい新校舎にも苦労はありました。水に恵まれた富土山麓にありながら、吉原工業高校には自前の水源がなく、柔木崎方面の簡易水道の余剰水を水源にしていました。当初十分に足りた水量も、設備の充実、生徒数の増加、桑崎、鵜無ケ淵方面の住宅増の影響で水不足に悩まされるようになり、実習に支障をきたし、衛生用水源にもこと欠き吉原三中までもらい水をするときもありましたが、16年前に自前の水源を確保し水の心配はなくなりました。その他、グランド整備では、体育祭の準備で5センチほどの小さな石を取り除こうとして掘り始めたら、直径1メートルほどの岩塊になり、さらに下まで続いていく有様で頂土部を砕いて削り隠す事もしばしばありました。

 時がたつにつれ、建物の増設が次々とありました。電気科校舎、斉藤記念体育館、斉藤記念図書館、生徒ホール、格枝場 合宿所、電子科校舎、プール、新体育館等々。グランド以外の空間は次々に施設で満たされていきました。生徒会活動もますます活発になり、吉峰祭や体育祭も充実し体育祭の応援席には吉工名物、巨大アーチも出現。その製作には実験室や実習工場が利用され、各工業科の先輩後輩の絆を高め、また吉工の伝統創りに貢献したと思います。

 

 校舎完成に伴い、現在地に全面移転。

 

 この度完成した新校舎ではそのような取り組みをする空間を望むには少々難はありますが、吉工生の未来には、また何かの新たな発想と創造があることでしょうし、そうあってほしいと思います。

 

 30有余年にわたり吉工生を育成してきた旧校舎が取り壊されていくのを感概深い思いで多くの人々が見つめていたことと思います。しかし、歴史が示すように〃古きもの井の上に、さらに素晴らしい創造があるように、全国にも誇れる、内容の充実した新枝舎の完成を見たことで、末来への期待と新たな出発に喜びを抱いていることでしょう。